ジゴロなんか!
Gigolette Philosophy

− 真実の愛をもとめて −



ジゴロ哲学

− 基礎編 −



ジゴロを男の哲学だなんて妄想めいた表現をしたが、ジゴロの存在や意義につ いて想いを巡らしてみると、やはりそこには「ジゴロの法則」といえる哲学が 存在している。そこでオレはこれらの発想や思考を総じてジゴロ哲学と命名し てみた。

一般的な恋愛にも哲学なるものが存在するなら、それはジゴロ哲学とは似て非 なるものだ。恋愛哲学ではセオリーとされている言動でもジゴロ哲学において はタブーになる場合がある。逆に一般的にタブー視されている言動がジゴロの セオリーだったりもする。

「あなたはジゴロなんかじゃない」

この女のセリフに込められた真実に迫るには、これらジゴロ哲学の基幹を成す 精神論への理解は必要不可欠だろう。その上で独創的なアイディアが求められ るわけだが、実践における具体的なアドバイスなどは応用編や実践編で紹介す るとして、基礎編ではまず「ジゴロとは何なのか」その法則や禁則などの基本 概念を紹介してみよう。



「いま彼氏いるの?」と訊くな
「愛してる」と言うな
真剣に愛せ
「愛してる」を超えろ
恋愛中毒になるな
「オレはジゴロだ」と白状しろ
借金とギャンブルはするな
夢を共有しろ
「ずっと一緒にいよう」と言うな
彼氏になるな



「いま彼氏いるの?」と訊くな
これほど不毛でサブい話題はない。このネタふりに対する答えはイエスかノー のふたつ。イエスならそれで終了。ノーの場合も真偽のほどはわからない。彼 氏ではないが好きな人がいるのかもしれないし告られて気持ちが揺れ動いてい るのかもしれない。いずれにせよ、その方向で掘り下げて話しが広がったとこ ろで、これはジゴロの仕事ではない。

彼氏や好きな人がいるかいないかなんてジゴロが仕事をする上で何の関係もな いステータスだ。その彼氏が金持ちなら自分にとっての孫請け業者くらいに思 っていればいい。孫請けの生み出した利益が下請けである彼女を経由して元請 けである自分に流れてくるだけの話しだ。元請けは、下請け業者が孫請けを使 うか否かなどにはまったく興味がない。発注した仕事をキッチリこなしてくれ ればそれでいい。つまり、相談を受けた場合を除いては孫請けの存在に興味を 示す必要などなく、自らその話題を切り出すなどもってのほかだ。重要なのは 彼女との信頼関係をしっかりと構築することである。彼女にジゴレットとして の才能があるなら、黙っていても満足のいく結果を出してくれるだろう。

よく「私いま彼氏いないんだ」という女がいる。これに反応する必要はない。 お前に男がいるかどうかには興味がない、くらいの勢いでちょうどいいだろう 。「じゃあオレが彼氏になってやるよ」という展開を女は待っている。そのコ トバで安心感あるいは満足感を得ようとする。しかし、その期待は裏切られる ためにある。こんなところでサービスを浪費してる場合ではない。そんなこと を言わなくても女をリードしていけるだけのパワーやオーラを求められるのが ジゴロなのである。

かといって、頑なに彼氏の話題を避けまくっていても不自然である。「こんな ガキみたいでジコチューなヤツはサイテー」みたいな話しが出た場合、その話 しの登場人物が彼氏や元彼という場合がある。そういう時はさりげなく「なに ?ソレって彼氏のこと?」くらいにツッコミを入れておこう。返答はわかりき っている。友達か元彼のどちらかである。この返答をさせることによって、話 題に出た人物が現在進行形で付き合っている男だったとしても、自分と女との ふたりの会話の中では「過去の男」あるいは「本命ではない男」にしてしまう ことができる。この小さなウソは障害となりプレッシャーともなる。それを乗 り越えるために使うパワーは、いずれ恋愛感情に変化する火種となるだろう。


「愛してる」と言うな
愛してるよ、なんてセリフ恥ずかしくて言えないサ。よくあんなキザでジゴロ みたいなセリフが言えるもんだヨ。これはトンでもない勘違いである。切り口 にもよるが、恋愛がテーマのドラマや映画などでは主人公が「愛してるよ」と 言った瞬間にストーリーはエンディングへと突入していく。視聴者を釘付けに しているのはこの最後のセリフを言ってしまうまでのプロセスにワクワクして るからである。時にはイライラさせられたりもするだろう。この擬似恋愛が体 験できるからこそ感情移入してしまえるのである。主人公が「愛してる」と告 白した瞬間にとてつもなくシアワセな気持ちに包まれて、今までとはまったく 別な次元で新しいストーリーがスタートしてしまっている。このシアワセな気 持ちは「これでもう死ぬまで永久にこの相手は自分のもの」みたいな安心感が 根拠となっている。しかし、ジゴロにはこのテンションを維持させ続けること はできない。なぜなら、すでに舞台は次のステージに移ってしまっているから だ。もうそこはジゴロの出る幕ではないのだ。ジゴロが華々しく活躍できる舞 台は、最後のセリフを言ってしまうまでのプロセスにある。そして、ジゴロで あり続けるという意志がある以上、自らエンディングを迎えてしまうようなセ リフを言うものではない。


真剣に愛せ
相手に惚れるな、愛してると言うな、などの前言との矛盾を感じるかもしれな いが、心の底から相手を愛することができなければジゴロ失格である。そもそ もジゴロに限らず「愛してる」などと軽々しく言うものではない。軽〜くラヴ &ピースなキャラを演じるために「愛してるよ〜」というのなら関西商人の「 儲かってる?」みたいなノリということでまだいいが、本域で「愛してる」を 連発するのはヤバイでしょ?お前ホントに愛してるのかと問い詰めたくもなる 。乱交の時代は前世紀末に終焉した。今世紀、これから迎えようとしている純 愛社会において、愛の百円ショップなど必要とされないだろう。

ここで人間の永遠のテーマのひとつである「愛とはなにか?」という壁が立ち はだかることになる。これを避けて通ることはできない。しかし、このテーマ についてはどんなに言葉を尽くしたところで万人を納得させることなどできな いだろう。ここで、大恋愛と大失恋を経験しておけ、につながるわけである。 自ら体験して導き出した答えほど確かなものはない。もし、まだ誰にも真剣に 「愛してる」と言った経験が無いのであれば是非そのセリフを言える出会いを してほしい。できることならその大恋愛の相手と生涯を共にして天寿をまっと うしてほしいと心から願っている。大失恋の経験など知らないで済むにこした ことはないからだ。

さて、人はなぜ「愛してる」と言うのだろうか。相手に求められて、期待に応 えるため、必要に迫られて、自分の気持ちを伝えたくて、など色々理由はある が、どうして「愛してる」なのか。そこには「ずっと一緒にいようね」「どこ にもいかないでね」「元気出してガンバレ」「車には気をつけて」「風邪ひく なよ」等々その他わずかな時間では表現しきれないたくさんの気持ちが集約さ れている。それらをひとつひとつ具体的に説明しなくても「愛してる」と言う だけで全部の気持ちを伝えることができる。「愛してる」というコトバは実に 便利で合理的なコトバなのである。そして、そのことが落とし穴でもあるとい う事実に気付いていないヤツがあまりにも多すぎる。

「愛してる」というコトバはトランプに喩えればジョーカーだ。あらゆる場面 で使うことができる魔法のカードだが、一度使ってしまえばあとは手持ちのカ ードで勝負するしかなくなる。だからジゴロは最後までジョーカーを使わない 。持っているだけで有利に運べることを知っているからだ。そしてジョーカー を使わずに勝つ術も知っている。つまりジゴロにとってのジョーカーは最後の 切り札ではない。それを持っているかもしれない、と相手に悟らせることがジ ョーカーの真価だと知っているだけだ。

ところが一般的な恋愛では何枚もジョーカーが切られる。みんな「愛してる」 って軽々しく言いすぎ。ジョーカーはあくまでも代用品に過ぎないということ に気付いていないヤツがどれほど多いかということだ。普通に結婚を望むので あれば、それこそラブストーリーのクライマックスのようにドラマティックに 「愛してる」とジョーカーを切って劇的なエンディングを迎えるためのアイテ ムとして使えば効果も絶大だろう。そのためにはジョーカー以外の手持ちのカ ードで勝つための準備を着々と進めなければならないのに、いきなりジョーカ ーで勝負に出るヤツがいる。…で、そのあとどうすんの?と思ってしまう。

最初はインパクトのあった「愛してる」というコトバも会うたびに連発されて しまうと「おはよう」と大差ない挨拶になってしまう。本来は色々な気持ちを 代弁してくれる効果があったはずでも、そのうち一体どの気持ちを代弁してる のか曖昧になってくる。ここに気持ちのズレが生じる。互いが自分に都合よく 「愛してる」を解釈しはじめるのだ。これが落とし穴なのである。

では「愛してる」と言わずに真剣に愛するとはどういうことなのか。それは相 手の気持ちを理解するためのあらゆる努力、研究を怠らない、ということに他 ならない。「愛してる」は自分の気持ちを相手に伝える手段にすぎず、相手の 気持ちを理解するという目的を達成するのに「愛してる」と言う必要などない 。相手の気持ちを理解するのと相手の期待に応えるのとではまったく意味が違 う。相手の期待に応えるために、相手の気持ちをちゃんと理解しておく必要が あるのである。ここを混同してはいけない。相手の期待に応えたつもりが、相 手の気持ちをちゃんと理解できていなかったために裏目に出てしまった、など という失敗はよくあることだが、ジゴロにそれは許されない。真剣に愛すると は、命がけで女の気持ちを理解するために努力する、ということだ。そして、 それがちゃんとできていればジョーカーなど使わなくとも勝てるのである。


「愛してる」を超えろ
ほとんどの女は「愛してる」という一言だけを待っている。それさえあれば他 の部分で少しくらい雑な仕事をしていてもゴリ押しで何とかなるという一面が あるのは事実だ。しかしこれはジゴロ哲学の信念から言えば明らかに手抜き工 事だ。雑な仕事は許されない。他の誰にジョーカーを切られてもビクともしな いだけの耐震工事を施工しておかなければならない。そのためにもジゴロはジ ョーカーを切ってはならないのだ。「愛してる」などという誰にでも言える単 純で安直な割には絶大な効果を発揮する反則技に匹敵するような魔法を使わず に、女を満足させリードしていけるだけの魅力やパワーやオーラがジゴロには 求められるのである。

では「私のことをどう思ってる?」という女からの究極の問いかけにはどう答 えればいいのか。ふつうに考えればこの場面を最高に演出するセリフは「愛し てるよ」以外には無いだろう。しかし、これは代用品であると同時に最後のセ リフである。ジゴロ主演のストーリーをまだまだ引っ張るには「愛してる」を 超える、あるいは「愛してる」に匹敵するリアクションが必要不可欠だ。その 場しのぎのアドリブでは魔法のコトバ「愛してる」を超えることなど到底不可 能だろう。

女がこのセリフを言うからには既にふたりには歴史が存在している。それをた だ突っ走ってきただけのウサギにはアドリブを言えるだけの情報も無ければレ パートリーの蓄積だって無い。着実に愛を育んできたカメにはふたりの歩みを ひとつひとつ消化してきた実績がある。この場面で「愛してる」を超えるため にも出会った時からの女の言動と気持ちが変化していく過程を観察し分析する というカメのように地道な努力が必要なのである。

カメの歩みで積み重ねたふたりの歴史とそれを分析して蓄積した情報があるな ら、それらの財産をこの場面でどのように活用すれば効果を発揮するのか。質 問は「私のことをどう思ってる?」である。頭をフル回転させて蓄積してある 情報を総動員し、ひとつでも多くの長所を具体的に指摘して「お前のそういう ところが好きだ」と言えばいい。「愛してる」ではなく「好きだ」である。こ こで注意がある。漠然と「お前が好きだ」などという曖昧な表現は、決して用 いてはならない。この表現方法は「愛してる」と同義でありソフトな表現とい うだけの代用品にすぎない。どこがどういう風に好きなのか、これをいくつも 具体的に言えないようではカメの努力を怠ってきた証拠である。反省しよう。

もっとも究極といえるのが「じゃあ私のこと愛してる?」という問いかけだ。 パーツパーツを褒めてはくれるが、それらパーツを組み立てた全体を愛してい るのか?ここは是非ともちゃんとした言葉で確認をしたいのが女心というもの だろう。しかし、ここまでくれば女にも自信がある。ここまで褒めておいて、 まさか「愛してない」なんてオチは無いだろう、という自信だ。だから言葉に よる最終確認というよりは単純に「愛してる」という耳障りのいい甘美なセリ フを聞いて心地よくなりたいだけなのだ。予期せぬ相手から突然「愛してる」 と言われてもビックリするだけだ。相手が本当に愛してくれてるのかどうかも わからないし実感だって無い。少しはいい気分を味わえるかもしれないが感動 は薄いだろう。愛を育んできた歴史があった上で「愛してる」という言葉がキ た時にシアワセな気分になるのである。女はそれを期待しているだけなのだ。

しかし、その気持ちよさは最初だけである。ここで律儀にその期待に応えてし まったらもうジゴロとしては打つ手が無い。褒めるだけ褒めちぎってジョーカ ーの存在をアピールするだけで十分である。「私のこと愛してる?」という問 いには「わからないよ」と答えるのが正解だ。「さあ?どっちでしょう?」と いう意地悪なリアクションだがこれは決してサブくない。多くの女が「照れな くていいから言ってみ、まったく肝心なところで女心がわかってないなぁ」的 なことを言う。ここはひとつ「照れ屋さん」というキャラを演じておくのがベ ターだろう。

ここまでくればシナリオ通りの展開だ。もちろん心からスッキリと納得がいく わけではない。何かが引っかかっていて気持ちが悪い。この状態がジゴロ的に はベストコンディションなのだ。女は感じる。あくまでも希望的な推測の域は 出ないが「この男はジョーカーを持っている」と。そしてその手応えからそれ なりに安心感や満足感が得られシアワセな気分になれる。しかし最後のセリフ を聞いていないので絶対の確信とはならない。そこに緊張感が残るのだ。確実 にドラマティックなクライマックスを迎えているはずなのになかなかエンディ ングに突入しない。いつまで経っても次の舞台がスタートしない。適度な緊張 感が維持され続ける。この絶妙なバランスを保ち続けることこそ「愛してる」 を超えるということである。


恋愛中毒になるな
「愛してる」と言わずに女を愛するのは何もジゴロだけの特権ではない。言っ てみれば実感できるが、その女に対して初めて「愛してる」と言って「私も」 と互いの愛を確認し合った瞬間は永遠に時間が止まってしまうのではないか、 と錯覚するほど熱い衝撃が心の奥底からこみあげてくる。互いの脳細胞が融合 する瞬間だ。単なる肉体の交わりなどを超越した筆舌に尽くしがたい快感に襲 われるだろう。こんな体験をしてしまったら後がもたない。セックスなんかど ーでもよくなってしまう。ふたりきりの世界で「愛してる」「オレも」「愛し てる」「私も」をサルみたいに延々と繰り返していれば他には何もいらない。 恋愛中毒である。しかし、いずれ現実に引き戻される時がくる。ふたりだけの 夢の時間などアッという間に過ぎ去ってしまう。ここで一般的な感覚を持った ふたりなら現実に引き戻されても大切に愛を育てていき共にお婆ちゃんとお爺 ちゃんになっても仲睦まじく永遠の愛を貫こうとするだろう。しかし現実には なかなか理想の愛を貫くことができない。なぜなら初めて「愛してる」と言っ た時を超える感動になかなか出会えないからだ。時の流れは残酷にもその感動 を色褪せた思い出へと変化させてしまう。あの瞬間のテンションを維持し続け ることは恋愛のプロフェッショナルを自負するジゴロといえど困難きわまりな いのである。それを一般的な感覚のふたりに求めるのは酷だろう。それなら「 愛してる」と言わずに愛し合うジゴロ的な愛しかたの方が実用的なのではない だろうか。ただ「照れ屋さん」を演じるだけである。こんなに簡単なことはな いだろう。


「オレはジゴロだ」と白状しろ
ジゴロって何だ?一般的には辞書で紹介されてる意味そのもので「サイテーの クズ野郎」と表現して差し支えない。ふつうに考えればそんな男と付き合う女 なんていないはずだが辞書にも掲載されてるくらいなのだからジゴロはこの世 に存在するし、女がいないとジゴロは成立しないので付き合っている女も存在 する。一般的なイメージである「サイテーのクズ野郎」というレッテルを凌駕 するだけの魅力がジゴロにはあるということだ。もっとも、辞書には掲載され ていないジゴロの魅力的な部分の情報も世間一般には広まっているので、その 男と付き合うか否かを最終的に決断するのは各自の判断に委ねられているのが 実情である。殺人犯と獄中結婚する女がいるくらいなのでジゴロというレッテ ルだけでは避ける理由として成立しないのである。

では、その男がジゴロか否かは誰が評価するものなのか。通常その人物の評価 は本人がするものではない。本人がそのつもりでも結果を出せなければそれは 単なる勘違い野郎にすぎない。しかし、結果を出すために自らの評価をアピー ルするという手法があるのだ。最初はハッタリでもアピールし続けることによ って周囲の評価をも動かし本物に化けてしまうのである。これは芸能界では定 石だ。誰もそんなこと言ってないのに所属プロダクションが自ら「カリスマ女 性アーティスト」と宣言してメディアで宣伝しまくれば、その女性アーティス トは本当にカリスマになってしまう。この現象はジゴロでも同様である。

しかし「オレはジゴロだ」などと自ら打ち明けてしまって警戒されないだろう か。まったく無名の新人がデビューするのに天才だのカリスマだのと宣伝され てもピンとこないのと同じで、初対面の相手に「はじめましてジゴロですヨロ シク」というわけにはいかない。ある程度の認知度があって天才だのカリスマ だのと宣伝されれば「やっぱりそうだったのか」と受け入れやすい様に、ジゴ ロの場合も切り出すタイミングは重要なポイントである。もちろん最初からカ マしていくやり方もあるのだが、そういうノリで押すならホストの方が適して いるだろう。出会いがホストと客なら話しが早いのである。

自分がジゴロであると打ち明ける理由は色々ある。ジゴロに対するレッテルは 人それぞれだろうが「女に貢がせる男」という点においては一致した見解だろ う。「オレはジゴロだ」と打ち明けるウラには「だから貢いでネ」というメッ セージが隠されている。「なんで私が稼いだ金を渡さなきゃならないの?」と いう問いかけにも「オレはジゴロだから」の一言で済む。女に貢がせるからジ ゴロなのか、ジゴロだから女は貢がなければならないのか、ニワトリが先かタ マゴが先かみたいな話しだ。いずれにせよ「オレはジゴロだ」が金品を引く際 に有効な免罪符になるのである。さらに、ジゴロはひとりの女が独占すること はできない。「オレはジゴロだ」と打ち明けるウラには「オレに貢ぐ女はお前 だけじゃないよ」というメッセージも隠されているのである。

さて、そんなに都合よく「ジゴロだから」などと免罪符を使いまくっても平気 なのだろうか。ふつうの感覚で考えたらあまりにも女をバカにし過ぎている。 しかし、ふつうの男にはこの免罪符を使う資格が無い。カメの歩みで歴史を積 み重ね、命がけで女の気持ちを理解するために努力し、目先の快楽である恋愛 中毒に溺れず「愛してる」を超越した信頼関係を築いてきたからこそ使える免 罪符なのだ。だからこそ「オレはジゴロだ」なのである。


借金とギャンブルはするな
ジゴロに限らず借金やギャンブルなど人としてするものではない。起業などの 明確なビジョンがあって融資を受けるというなら話しは別だが、単なる遊ぶ金 欲しさや贅沢品を購入する目的で借金などしてはならない。こういうやつがジ ゴロになっても誰もシアワセにはなれないからだ。また、プロ級の腕前でもな い限りはギャンブルもやめておけ。禁止はしないが趣味として許される範囲内 にとどめておいた方がいいだろう。毎日パチスロに明け暮れて十万や二十万の はした金で勝っただの負けただの一喜一憂しているジゴロなど哀れで見ていら れない。そんなヤツに明るい未来は無いだろう。

ここまでは一般人に対する警告の理由だ。ジゴロとして上記の行為を禁じるに は当然もっと別の理由がある。女たちはただ「好き」という理由だけで男に貢 いでいるわけではない。自分自身の未来のシアワセのためにジゴロに投資して いるのだ。女がどんな思いをして金を稼いでいるのか想像するといい。楽して 金が儲かる仕事なんて無い。精神的に変になる一歩手前のギリギリの崖っぷち で死ぬ思いで稼いでいるのだ。そこまでしないとそんなに稼げるわけがない。 男の視点からだとなかなかそんな風には見えないが、重要なのは「女がどうい う気持ちでいるのか」それを理解してあげることなのだ。どんなに楽そうに見 える仕事でも女本人が楽だと感じていなければそれは楽に稼いでいることには ならない。ここを勘違いしてはいけない。

そんな思いで稼いだ金が、単なる遊びやギャンブルで消えてしまったら女はど んなに悲しいだろう。それでも、たった一瞬でも好きな男が喜ぶ顔を見れた、 というほんのささやかでちっぽけなシアワセを感じられたことで気持ちを納得 させようと努力する。しかしそんなものはいつまでも続かない。すぐに限界が くるのである。一日分の稼ぎがアッという間に呑み込まれていいわけがない。 女の気持ちをちゃんと理解してあげられる想像力があるならば、そんなバカげ た金の遣い方などできないはずである。

逆に女がギャンブル好きという場合もある。ふたり揃ってギャンブル好きなら どうしようもないバカップルだと思うがそれでふたりがシアワセならそれもい いだろう。ただし女のギャンブル好きをやめさせたいのであれば金の遣い方と いうものをキッチリ教え込まなければならない。そのためには自らハマってい たのではしめしがつかない。「自分で稼いだ金をどう遣おうが勝手でしょ」と いう女をジゴロ的手腕で黙らせる前に「オレはギャンブルがキライだ」くらい の勢いがなければ女のギャンブルを禁止する説得力に欠けるだろう。好きなヤ ツはギャンブルの内に入らないと言うだろうが競馬ならダービーと有馬記念、 宝クジならサマージャンボと年末ジャンボ程度で我慢させよう。習慣的に続け たいなら適切な限度額を設定して週一回のナンバーズやロトで我慢させるとか ね。


夢を共有しろ
さて、女が稼いできた金に対する主導権である。出会いがホストと客なら最初 から主導権はジゴロにある。バカげた金の遣い方さえしなければ惰性でその関 係を持続させるのは簡単なことだ。では、どのような金の遣い方ならバカげて いないのか。人が金を遣うには動機が必要である。ただ「好き」というだけで は金を支払う動機としては弱い。貢ぐという行為はいわば献金ということだが ボランティアな募金箱に献金する時ですらちゃんと動機があるのだ。ボランテ ィアだから直接的な見返りを期待する行為ではないが「困っている人たちが少 しでもシアワセになれますように」という願いを込める。これは立派な動機で ある。つまり貢ぐとは無条件な献金ではないのだ。ちゃんと条件がある。その 条件がクリアされますように、という期待が貢ぐ動機なのである。

とはいっても具体的な条件が詳細に設定されているわけではない。自分自身の 未来のシアワセなどという漠然としたイメージだ。そもそも夢を実現するため の具体的な計画を持ち合わせているような自立心の強い女ならばジゴロに投資 するよりも自分自身に投資するだろう。貢いでしまう体質の女が期待している のは「自分自身の未来のシアワセ」という漠然としたイメージであり、それを 具現化してあげるのはジゴロの仕事である。ジゴロには未来に対する具体的な ビジョンが求められるのだ。女が賛同できる夢が必要なのである。

すなわち、ジゴロ自身が漠然としたシアワセを求めて毎日を何となくギャンブ ルなどに時間を浪費して過ごすわけにはいかない。具体的で現実的な夢に向か って突き進み精力的に活動する姿を見せなければならない。芸人やミュージシ ャンや俳優を目指すなどの夢は一般的な感覚ならそれこそ「何を夢みたいなこ とを」と一刀両断されそうだが、貢ぐ体質の女と共有する夢としてはこのくら いでちょうどいいかもしれない。自分の店を持つとか起業して会社を作るなど でもいい。まずは人を説得する前に自分自身がその夢に賭ける覚悟を決めなけ れば話しにならない。これは何も金品を引くための方便でも何でもない。ホン キで取り組める夢を持てないヤツにジゴロをやる資格はない。ジゴロとは、夢 を実現するための資金を工面する「単なる手段」にすぎないからだ。毎日贅沢 して女と遊んで暮らすために一流のジゴロになる、なんて発想では三流のジゴ ロにすらなれないだろう。

明確なビジョンを持ったら次は説得だ。その夢がいかにスバラシイことかを熱 く語れ。そして「オレは絶対に成功してみせる」と自信に満ちた強い口調で断 言してしまえ。そこまで言われれば女もその気になってくる。もっとも女以上 に自分自身がその気になっていなければ熱意は伝わらない。念を押すがこれは 金品を引くための方便ではないのだ。そこに真剣な熱い思いがなければ絶対に 女の心を揺り動かすことなどできないだろう。女は成功したらどうなるのかを イメージする。そして「成功すればシアワセな未来が待っている」という結論 にたどりつく。不安材料は「本当にこんな夢みたいな話しが実現可能なのか」 の一点のみだ。「でも成功すればシアワセになれる」という期待感とのハザマ で揺れ動いている。そして最後は「この男を信じて賭けてみよう」という結論 にたどりつくのである。何しろ今までの人生でこんなにスリリングでワクワク させられる未来イメージに接したことなどないのだ。それを目の前の男が「絶 対に成功させる」と断言している。「賭けてみる価値はある」と判断して当然 だろう。

女の気持ちがここまで傾いたなら最後のひと押しだ。「これを成功させるには お前の協力が必要だ」と迫る。女は自分が必要とされている事実に感動する。 そして共同作業のための役割分担を提案する。「オレにはアイディアとそれを 実行するための行動力がある。必要なのは時間と金だ。」この決めゼリフが最 も重要なポイントだ。つまり「オレには目先の金を稼ぐために安い給料で働い ている時間なんかないんだ」につながる布石である。早い話し「お前が稼いで くれ」と言っているわけだ。これを「夢を実現させるための共同作業における 役割分担」として提案するのである。最後にひと言「一緒にがんばろう!」こ れで決まりだ。


「ずっと一緒にいよう」と言うな
ふたりは死ぬまで永遠に一緒だ、という期待をさせてはいけない。いつ別れが 訪れるかわからないという緊張感がジゴロには必要だ。実はこれはジゴロでな くても同じなのである。夢に関しては「絶対に成功させる」と断言してもいい 。絶対に…と言ってみたところでそれは決意の表明であり実際のところ失敗す る可能性があることくらい言わなくてもわかっている。だからこれをわざわざ 言う必要は無い。しかし、ずっと一緒にいるか否かは気持ちの問題なのでその 気さえあれば一緒にいられるはずである。しかし実際は未来の自分たちの気持 ちなんてわかるわけがない。なのに「ずっと一緒にいよう」なんて言ってしま うのは女に対して無責任な発言である。しかし「一緒にいたい」といういまの 気持ちに偽りは無い。その気持ちはコトバで伝えた方がいい。近いニュアンス でコトバを選ぶなら「もっと一緒にいよう」である。

女だって未来のことなんてわからない。でも「愛してる」というコトバを期待 する様に「ずっと一緒にいよう」というコトバにも期待している。「一緒にい たい」といういまの気持ちを「ずっと…」というニュアンスで表現してもらい たいのだ。「もっと…」という表現でもウレシイが「ずっと…」に比べれば物 足りないし未来への不安材料となってしまう。しかし、これは「愛してる」と 言ってはいけないのと同じ理由で「ずっと…」も言ってはいけない。女は言う だろう「私を安心させて」と。そこには「ウソでもいいから」という切ない想 いが込められている。ここは正直に「ウソはつけない」と言ってしまおう。

いま「一緒にいたい」という気持ちにウソはない。だけど十年後も同じ気持ち でいるかどうかはわからない。だからこそ今の気持ちを大切にして「もっと一 緒にいたいんだ」と言おう。最後まで女は納得できないだろう。しかしそれが 現実なんだと自分に言い聞かせる。そして期待感が無限に膨張する気持ちを抑 制するだろう。女に過剰な期待をさせてはいけないのだ。「いつか別れる時が 来る」という覚悟をさせておかなければならない。これはジゴロ流の思いやり である。その覚悟さえあれば、いざ別れが訪れた時に心の傷を最小限に食い止 められるからだ。


彼氏になるな
ジゴロは彼氏ではない。ましてや婚約者であるはずがない。ジゴロはどこまで いってもジゴロのままである。「愛してる」とも「ずっと一緒にいよう」とも 言わない将来の結婚が約束されているわけでもない彼氏でもない男、それがジ ゴロなのである。安心材料が、未来を保証するものが何ひとつない男である。 しかしその男とはカメの歩みで積み重ねてきた歴史がある。命がけで気持ちを 理解してくれている。「愛してる」という次元を超えた強い絆も感じる。そし て夢を共有している。そう、夢を共有しているのだ。これが実現すれば少なく とも今よりもっとシアワセになれるのだ。今はこれに賭けるしかない。この先 どうなるかわからなくても現実に目の前にある目標は夢の実現なのだ。他に選 択肢はないのか?まったく無いわけではない。しかし今はこの男を失いたくな い。他の選択肢なんか考えられない。がんばって自分の役目を果たすしかない のだ。

彼氏ではないジゴロという距離感がすべての面で有効に作用するのである。こ れがもし彼氏ということになれば途端に状況は一変する。早い話し「男だった ら働け、そして女をシアワセにしろ」というごくふつうの発想に落ち着いてし まうのだ。こんな考えではジゴロのパートナーとしていい関係を築くことはで きない。女をパートナーとして育てるのはジゴロの役目である。安易に彼氏な どというポストに落ち着いてしまってはならないのだ。ジゴロはどこまでいっ てもジゴロのままだ、というスタンスを貫き通さなければならないのである。

このスタンスを別の角度から見れば明らかに逃げ腰になっていることがわかる 。男にはいつでも女から逃げ出せる万全の準備が整っているのだ。たとえば妊 娠などの何か困難な局面に遭遇した時、ふたりで共に苦労をしてその危機的な 状況を乗り切ろう、という覚悟がこの男の言動にはまったく感じられない。何 かあったらこの男はさっさと逃げ出してしまうかもしれない。この不信感は最 大の不安材料となる。まったくその通りだ。ジゴロにはたったひとりの女と心 中する覚悟なんて無い。そしてそれを隠す様な態度もとらない。これはジゴロ の本音である。たしかにその女を真剣に愛している。この気持ちに偽りは無い 。だから少々の困難なら一緒に乗り切ろうと努力する。しかし、その困難の度 合いが一線を越えた時、ジゴロは我が身を犠牲にしてまで女を守ろうとはしな い。女はこの渇いた現実を受け入れざるを得ないのだ。

しかし、このスタンスこそ人間が本来持つクールな本質である。女のために命 まで捧げる浪花節を地でいける硬派な男が現実にどれだけいるというのか。既 に子孫を残した父親ならば母子のために命を捧げたとしてもうなずける。しか し単なるツガイの片方がピンチだからといってもう片方のツガイが自らをどこ まで犠牲にできるというのか。現実は映画やドラマほどカッコイイものではな い。ジゴロはその冷たくて厳しい現実をウソで飾ることなく容赦なく女に突き つけているだけである。心地よい夢の世界を演出するだけが真の優しさではな い。その事実を女はジゴロを通して知ることになるのだ。

とはいえ好きな男からはウソでもいいからもう少しマシなセリフを聞きたいの が女心である。ほんとにこの男は女心というものがわかってないと感じること だろう。しかし、ここがジゴロと一般人とのボーダーラインである。情にまか せてウワっつらの耳障りがいいだけの優しいコトバをかけてはいけない。それ を言った瞬間、今まで積み上げてきたジゴロとしての距離感が崩れ落ちるだろ う。非情に冷徹な態度を貫くこともジゴロにとっては重要なファクターである 。