自殺

ここでは自殺について書いています。
はじめに
是か非か
宗教
悟り
自殺の否定
答え
あとがき
コンテンツ
はじめに

筆者は自殺というテーマを軽々しく語るものではないと考えていた。それは筆者自身
が「人間は必ず死ぬ」という現実を直視したくなかったからかもしれない。しかし、当サ
イトの流れからすると避ける事のできないテーマと感じる。そこであえて自殺について
考えてみる事にした。筆者が自殺について死について真剣に考えたのはおそらく今回
が初めてだ。
是か非か

筆者は何事に対しても自由を尊重する傾向がある。筆者の考えは述べるが無責任に
断言してしまわないようにしている。もちろん内に秘めた筆者自身の強い意思や結論
はあるのだが、極力、素材を提示するにとどめている。提示された素材から何かを感
じた各自がそれぞれの結論を導き出してくれればいいとの考えからだ。この手法には
良い部分もあるがもちろん悪い部分もある。しかし、特に微妙なテーマであるほど、こ
の手法以外では筆者の考えを表現する事はできない。

少年院での懲罰の対象となる禁止事項に「自傷行為」というのがある。玉入れ・刺青・
パチキなどはこのカテゴリーで処分されるわけだがその中には「自殺の禁止」も含ま
れる。自殺は懲罰の対象なのだ。すべての自由を奪われた中において、自らの命を
絶つ事すら罪に問われる行為なのだ。もちろん、思いを遂げた者に対して(死者に対
して)罰を与えるというような事はないだろう。懲罰を受けるのは失敗した者に対して
のみだ。筆者の知る限りでは日本の刑法にはこれに該当する罪はないはずだ。特異
といえば特異な禁止事項である。

自殺の是非を問われれば、あえて是とは言わないが非とも言わない。人間には自ら
の命を絶つ自由がある、というのが筆者の考えだ。多かれ少なかれ人間は幸せを求
める生き物である。生きる事に幸せを感じられなければ自殺を選ぶのも当然の結論
だろう。幸せに個人差があるのも事実である。では、生きる事に幸せを感じられずに
自殺を選択する人は、死に対して何を求めているのだろうか。そもそも死とはどういう
事なのだろうか。
宗教

死について考える時、やはり宗教についても想いが及ぶ。これは最新科学をもってし
ても解明できない謎が多すぎるからだろう。宇宙はおろかこの地球上にさえ理解の及
ばない事は数多くある。時間の流れにも逆らえない。人類や地球の歴史はおろか自
分自身の記憶でさえとても不鮮明なものだ。宇宙・地球・人類などの生命の起源など
誰も知らないのだ。今日語られている事はすべて憶測の域を出ない。目撃者はひとり
も存在しない。科学的に証明されている事実もあるらしいが何万年何億年という途方
もない年月の自然の営みを、わずか数十年の研究結果ですべてを判断してしまう事
の方が不自然ではないだろうか。肉体以外の何か、精神や魂などの存在についても
そのメカニズムについては理解が及ばない。そして死後〜肉体が消滅した後〜その
精神や魂などはどうなるのか。ここに想いが及ぶととても不安になる。

筆者は宗教に関して専門家ではないが、おそらく宗教には「死」などの理解の及ばな
い事に対する答えが、すべて用意されているのだろう。もちろんそれを信じる信じない
は別問題だが心から宗教を信じる事が出来るならばそれはある意味で救われている
のかもしれない。そして多くの人を救えたからこそ政治的にも利用できたのだろう。
悟り

「悟りを開く」といえば「宗教を極める」など宗教的なものを連想するが、筆者の考えは
少し違う。つまり「答えを出す」という事だろう。この際それが正しいか正しくないかは
問題ではない。いや正しいとか正しくないとかの次元ではない。答えを出した本人が
その答えを信じるか信じないかだ。そしてその答えは本人だけのものであり誰もそれ
を強要する事はできない。

自殺を選択した人はある意味悟りを開いてしまったのかもしれない。おそらく答えが
出てしまったのだろう。「死」とはどういうものか、おそらく正解など存在しない。そして
おそらくその答えはひとつではない。それは人それぞれが答えを出すものなのだろ
う。そしてその答えが出れば「生」と比較する事ができる。その結果「死」を選ぶ事は
当然あり得る。
自殺の否定

一般的に自殺しようとしている人がいれば説得して自殺をやめさせようとする。それ
は何故なのか。どうも「自殺は悪い事」という意識が一般的にあるようだ。もちろん筆
者もそのひとりだが。何故、人はそういう意識があるのか。そう教育されたからなの
か。それとも人間が本能的に持っている何かなのか。よく宗教的な集団自殺という
ニュースを聞く。彼らは自らの信仰により自殺した。もちろん彼らには「自殺は悪い
事」などという意識などなかったはずだ。本当に自殺は悪い事なのだろうか。そして人
は何故、自殺を悪い事だと思いたがるのか。

肉親や友人・知人の自殺を説得するのはよくわかる。愛情や友情の類があるからだ
ろう。しかし、本気で死のうとしている人間の気持ちを本気で理解するならば、それを
やめさせる行為は何を意味するのか。本気で本人の意思を尊重するならば、本当に
それをやめさせるべきなのか。愛情や友情とはどういうものなのか。
答え

死とはどういうものか正解など存在しない。答えはひとつではない。人それぞれが答
えを出すものだ、と前述した。まさにその通りだろう。しかし人の考えは変える事がで
きる。日本も戦後しばらくは混乱していただろうが、現在あの戦争を日常的に意識し
ている日本人はほとんどいないだろう。考えを変えていく過程では混乱もあるかもしれ
ないが、変わってしまえば過去を過去として捉える事ができる。オトナ達は経験でその
事を知っている。

死に対する答えは人それぞれだが、同じ人間の答えすら時間と共に変化していく。そ
んなオトナにはなりたくない。今のままの自分でいたい。人に自分の考えを左右され
たくない。それは少し違う。人は常に周囲からの影響を受けている。自分は集団の一
部にすぎない。しかし周囲からの影響を受けながらもその答えはあくまでも自分で出
さなければならない。別の答えを自分自身で見つければいい。では何故、別の答えが
必要なのか。

別の答えを見つけなければならないとは言わない。そんな必要はない。しかし「死」と
いう答えを出した瞬間から、肉体は生きていても精神は既に死んでいるといえる。オト
ナ達は、肉体はそのままに精神だけ生まれ変われる可能性もある、という事を示して
いるにすぎない。もちろん愛する人を失いたくないという想いも強いだろう。それは多く
の場合、エゴなのかもしれない。しかし逆の立場で考えればどうだろう。愛する人が
死のうとすればやはり止めるのではないだろうか。

結局、陳腐な表現ではあるが「死ぬのはいつでもできる、死ぬ気でやればどんな困難
でも乗り越えられる、死ぬのはそれからでも遅くない」というコトバにすべてが集約され
ているのかもしれない。何故そんなにまでして生きる必要があるのか、という疑問さえ
も「それを見つけるために生きる」などという本末転倒なコトバで片付くのかもしれな
い。何故なら人間は生きる理由を意識して生まれてくるわけじゃないからだ。
あとがき

多くの疑問を提示したまま強引にまとめてしまった。これは最初に書いた筆者の手法
とは少し違う。死については筆者自身、答えなど出ていない。これは筆者自身の課題
でもある。さらに衝動的な発作的な自殺については今回は触れていない。自殺のケー
スとしてはむしろこちらのパターンの方が多いのかもしれない。これについては折りを
見てまた違った切り口で書ければと考えている。
コンテンツ

筆者の過去
学校
イジメ
少年犯罪
自殺
掲示板
たかが少年院 〜 タイトルロゴ(GIFアニメ)