少年犯罪

ここでは少年犯罪について書いています。
はじめに
原因
ルール

親と学校
潮時
あとがき
コンテンツ
はじめに

少年院経験者の筆者が少年犯罪について書く。これはどういう事になるのか。筆者は
決して正義の味方などではない。経験からそれなりに自制心が身についた程度とい
える。だからといって少年犯罪を煽るつもりは毛頭ない。筆者のありのままの考えを
率直に書くだけだ。それをどう解釈するかは読む人に委ねる。
原因

何事にも原因はある。筆者が罪を犯した原因は筆者の記憶の中にあるはずである。
たとえば「学校が面白くない」「なんだかムカついた」「親の愛情に飢えていた」など。
どれも違う。思い当たる原因などない。もし、学校が楽しくてムカつく事もなく親の愛情
に満たされていれば今以上に幸せな人生だったのだろうか。どうもそうは思えない。

少年院では事あるごとに「内省文」という作文をテーマごとに書かされた。筆者はその
都度、心にもないデタラメで用紙を埋めた。書く事など何もないのだ。それでもまるで
ノルマの様に作文の提出を課せられる。こうなるともうやっつけ仕事である。オトナが
喜びそうな納得しそうな作風を自然と身に付け大量生産していたにすぎない。

あんなものでオトナ達は何かを読み取り教育に役立てたのであろうか。筆者が学習し
たのは単に「罪を犯せば自由を奪われる」という事のみである。それだけで十分だっ
たのかもしれない。

少年犯罪をなくすためには原因の究明と根絶が必要、という考え方は理解できる。し
かし本人にすらよくわからない原因の究明ましてや根絶などできるのだろうか。それ
よりも「ルール違反をすれば罰を受ける」という事と「何故ルールが必要か」を教えれ
ば十分なのではないか。
ルール

ルールが無くなるとどうなるか。現代でルールが無くなるとマジにヤバイ。核兵器はあ
るし生物兵器もある。しかしルールが無いのだから問答無用で無法者を裁く事もでき
る。そう簡単には人類滅亡には至らないかもしれない。するとルールとは一体何なの
か。人類がこの世にある以上無くす事はできない。無くす無くさないの次元ではなく絶
対的存在なのである。自然の掟と言い換えても差し支えはないだろう。

それが「法律」というカタチで文章として存在している。これは万人にわかりやすく説明
されているだけであって例え革命が起こって国家が転覆して現行の法律が無くなろう
とも自然の掟としてのルールは無くならない。民主主義だの社会主義だのと区別して
みた所で犯罪として認識される行為に大差ないだろう。

この考えに基づくとルールをふたつの種類に分ける事ができる。人間としてやっては
ならない事と社会的にやってはならない事だ。窃盗や殺人などは人間としてやっては
ならない。ドラッグや援交は社会的にやってはならない。言い換えれば、周囲に迷惑
の及ぶ罪か否かとなる。これらを混同してアタマごなしにルールを押し付けるのはどう
か。理解できる物も理解できなくなる、つまり拒絶されるだけなのではないだろうか。

人間は欲の深い生き物だ。筆者のモノサシですべての人を計る事はできないが、多
かれ少なかれ人間には欲があると見て間違いないだろう。その人間が集団で共存す
るには我を押さえガマンしなければならない。これをコントロール出来ない人間がルー
ルを破る。あるいは最初からルールなど眼中に無いのか。いずれにしても社会の枠
に収まりきれない人達がいる。筆者も例外ではない。何故その種類の人間が生まれ
育つのかはわからない。本人でさえわからないのだから大した法則性などないのかも
しれない。あるいは複雑すぎて簡単には見えないのか。

「貧乏だから犯罪に走る」「金持ちだからワガママで犯罪に走る」「中流家庭で平凡な
人生に嫌気がさして刺激を求めてやっぱり犯罪に走る」その他「片親だから」とか「共
働きだから」とか「親がアル中で」とかどれもこれもこじつけだ。何故なら本人にとって
はその環境が当たり前でその環境でも善悪の区別くらいつくからだ。もちろん中には
明らかに異常と思える犯罪もある。しかしその例がたまたま「片親だった」というだけ
で他のケースと比較するのは問題があるのではないだろうか。

社会の枠からはみ出ると通常は何かしらの処罰を受ける。そこで学習するか懲りな
いかに分かれる。筆者の経験だけですべてを語れるわけはないが社会の枠からはみ
出るという事は必ずしも悪ではない。枠からはみ出したものを枠にはめようとするとそ
こに無理が生じる。枠からはみ出したものは余程の無知でない限りは我の強さから
来ている。外部の圧力で枠に戻すなどそもそも無理なのだ。本人自らが気付いて枠
に戻る以外に方法は無いのではないだろうか。その場合、厳密には枠に戻るわけで
はない。自分自身で決めたルールがたまたま社会の枠に収まったというだけの事だ。
親と学校

筆者の場合、親にも学校にも何も求めたりはしなかった。何かを求めるわけなどな
い。うっとうしくてしょうがなかったのだから。「ごちゃごちゃ言わんと黙っとれ」である。
現在に至るまで親や学校から教訓らしきものを学んだという記憶はない。何かを教訓
とするとは困難を自力で乗り越えた時ではないだろうか。親や学校から押し付けられ
た教えなど教訓になろうはずもない。どんなにそれが正しい教えであってもだ。

よく、事件を起こす前にシグナルを出しているはずだから親や学校はそれを察知して
助けてあげなければならない、みたいな事を言っているが大きなお世話だ。善悪の判
断くらいはつくし間違っても親や学校に救援信号など出していない。本気で助ける気
があるのなら金をくれ。勉強などさせずに遊ばせろ。こんな所ではないだろうか。

結局親や学校なんて「枠」だけ示しておけばいいのかもしれない。もちろん愛情を持っ
て接する事も大切だろうが押し付けがましい愛ほどうっとうしいものはない。相手の心
に伝わらない愛など愛とはいわない。それはエゴ以外の何ものでもない。時にはクー
ルな駆け引きも必要なのかもしれない。よく親や教師の威厳などと言うが、尊敬され
たければまず相手を尊重する事が必要なのではないだろうか。そうでなければ絶対
的な恐怖で支配するしかないが現代でそれが適切な処置かどうかはわからない。も
ちろん尊重ばかりしていても舐められる。親や教師も所詮は人間。万能ではない。時
には弱さを見せる必要もあるのか。それは筆者にはわからない。
潮時

現役の非行少年のほとんど全員が「こんな事をしていられるのも未成年の間だけだ」
と考えている。ハタチのオッサンやオバハンになってまでこんな事を続けるつもりはな
い。そう「こんな事」という認識をちゃんと持っている。その境界線は「卒業したら」「社
会に出たら」「ハタチになったら」などまちまちだが少なくとも「いずれは終わらせる」と
いう意識を持っている。全員が全員とはいわないがある時点でそれに気付く。あるい
は、はじめから気付いているのか。いずれにしろちゃんと自覚を持っているのだ。

だからといって本人の決めた期限がくるまで黙認しろとはいわない。期限を守れない
ヤツもいるしはじめから期限など切ってないヤツもいる。しかし大多数はいつの間に
かオトナになっていくものではないだろうか。筆者の親に「子供はほっといても育つ」と
助言した人がいる。もちろんそれですべて片付けてしまうつもりはないが過剰な干渉
が裏目に出る事は明白である。適切な距離を保ちつつ社会の枠からはみ出ない様に
導く、デリケートで難しい事だがそれが最良の方法ではないだろうか。
あとがき

まだ言及しきれていない問題がある。例えば本人の意思に反してグループを抜けら
れない場合など。これはまた改めてカタチになれば加筆修正していく。
コンテンツ

筆者の過去
学校
イジメ
少年犯罪
自殺
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